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個人的な生活と思索の記録です

3年ぶりに - その2

自分の仕事の棚卸しをしています。沈黙の3年の間、何をしていたかというと、お仕事です。笑
いろいろな会社様、個人の皆様とお仕事を通じて出会い、出会い直し、お陰様で幸せに暮らすことができています。

そんな中で大切にしてきた、文書、あるいはドキュメントのこと。どうしたらわかりやすく伝えることができるのか、もう無意識でちょこちょこと修正しながら仕上げている、そんなお仕事です。もちろん、本業はただつくるのではなく、『チーム、仲間、メンバーとともにつくる』を実現すること。そこにちょっとしたこだわりがあります。

手前味噌ではありますが、前著である

では、じつは「ちいさい会社シリーズ」ということで、数名のオフィスをイメージする必要がありました。けれども、私の中では、200名程度の企業のイメージを持ちながら、その中でも一人で作るシーンも念頭に置いて書きました。

けれども、やはりそこは本来であればチームがつくるべき、というのがわたしの考えです。
二人でも家族、いやちがった、チーム。ですよね。

最終的には人と人が出合って話を進め、意気投合したりしなかったりして、最終的には1つのゴールに行き着く。それが提案活動、もっというと営業活動なのだろうと思います。

そこには、味方であるところの仲間の存在も欠かせず、どう上手くことを運ぶのかにとって、重要なポイントだったりします。

そのようなわけで、さんざん歩き回り、2周半して元のお題に行き着いた感がある私です。
提案の状況、提案書の形があまりにも多様な昨今、人がどうからんで作るのがもっとも『よい』と言えるのか。その答えはなかなかの抽象度でもって目の前にやってきます。こんなに抽象的では、上手く作りたい人にすぐに活用してもらえないのでは。それがわたしの中にある懸念事項です。

3年ぶりに

見ています。最近は、いままではまったことのないファン的な動きをしてます。

稲垣吾郎公式ブログ
https://ameblo.jp/inagakigoro-official/

アメブロさんですが(笑)


SMAP解散前、あの公開処刑と称された番組を、たまたまリアルタイムで観ていました。そこから、細く長い糸のように心についた傷のような疑問のようなものがずっとあって、それで3人が結局独立することになり。

そこまでは、ああ、という感じ、でも少しうずく感じがしていました。

昨日発売された『GQ』の稲垣吾郎さんのインタビュー記事の中に、「国民的」と言うことは、ファンならずとも多くの人々に影響を与えたことだとありましたが、まさにそのとおりのことが私にも起こったわけです。

私はずっとインターネットの成長とともに仕事をしてきています。インターネットに 香取慎吾 さん、草磲剛 さん、稲垣吾郎 さんの3人が「来る」ということは、自分の中に大きな存在になることを意味していることが、Abema TVの『72hホンネテレビ』があって初めて実感しました。

あれがある前は、私とテレビとの関係はほぼ、NHKを流しっぱなし。あれだけ大好きだったWOWOWも、最近は特定のドラマ以外はご無沙汰でした。

それがぴたっと。ストップ。テレビがただの騒音になりました。


昨年友人を亡くしてから、その前の1年間、仕事一辺倒で友も忘れるほどだったときから、心に空いていた穴をまたネットが、今度はこの3人、新しい地図がいつの間にか埋めている、という現状があります。知らないうちにすっと入ってきた、という感じかな。

何故すっと入ってきたのか.... 共感しかありません。新しいことをはじめるとき、起こること、起きたこと、分かる、分かる。何故、吾郎さんが72hホンネテレビの最後で涙したのか、気持ちがよく分かります。時系列でずっと観ていたことが、物語となっていつの間にか自分の内側に形づくられてしまったのでしょう。

喪失と再生。今の時代、日本で、共感する人は多いんじゃないかな。

それにしても、事前に巷で言われていたようなことに反して、彼らの実力、プロ根性に初めて触れた気がして、触発されています。ほんとうに本当のことを言うと、20年ぶりくらいに、「人の本質」に触れたとき特有の衝撃を受けました。2日ほど立ち直れないほどの。どれだけ日頃努力されているのかが想像され、どれだけの振り幅を見せてくれるのかに驚かされることを、しばらく楽しみたいと思います。




新しい地図とは編集

都議会セクハラヤジ問題。そもそもこれって....

都議会セクハラヤジ問題。いろんな意見が出てきました。今や海外メディアも大きく扱っていて、さすがに少し恥ずかしいです。
しかしこの反応で、あまりにも多くの人に当事者感を持たせる話題だと確認できます。

          • -

都議会セクハラやじ問題、抗議のネット署名4万人に
http://www.itmedia.co.jp/news/articles/1406/20/news091.html
→ 事件後、即座に起きた反応より。

わたしもいち女性として、署名の選択肢もありましたが、なんとなくもやっとした感じがして、いま現在、署名はしていません。

その理由は、以下の記事にも関係しています。

都議会全議員が謝るべき
http://blogos.com/article/88854/
→ 世の中の女性、男性、有権者に対して謝るべきとの意見

はっきり言います。
コミュニケーションは声による言葉だけではありません。また、経験もその場、リアルタイムによるだけではありません。人は声以外の表現からの方がより強くショックを受けることもあると思います。

塩村議員は涙しました。失礼ですが、健康な35歳の女性であれば公共の場で、しかも仕事中に涙を流すことはなかなかないと思います。

ヤジを飛ばした人たち、飛ばさなくても周辺にいた人たちは、塩村議員と向き合う形で座っています。もしかしたら、ヤジを聞きながら、ニヤニヤしていたかもしれません。(※どうやら相当数の皆さんが笑っていたらしいという報道がありました)
会議場のとある一角だけからでも、十分に強い刺激となります。また、知事が笑っていたくらいですから、他の会派の席の、とくに男性陣も、笑いの輪には加わっていたのではないかと考えています。そうすると、議場全体が一種のいじめの場のようなものですよね。

まったくの推察ですが、塩村議員は政治家としてはまだ経験も浅く、TVのバラエティー番組等に出ていて、当時の発言が刺激的であったこともあり、まじめに話を聞いてもらいにくかったかもしれません。あるいは、これもまったくの推察ですが、日頃の振る舞いで他の議員との違いが目立っていたかもしれません。

逆に、あのヤジを楽しんだ男性たちは、慣れた「職場」である会議場で、普段の財政や行政よりずっと「柔らかい話題」であり「自分たちとは関係のない話題」が始まり、「リラックス」していたかもしれません。(※これも勝手な妄想です)

彼らはとくに塩村議員をつぶそうとした訳でも、発言の内容に興味がある訳でもありませんでした。ひょっとすると、興味のない話題の中で、ちょっといじりやすい彼女が出てきて面白半分にいじっただけなのかも。(※本来、興味のない議題には参加しないというのは議員として責任放棄、権利放棄であり都民にとって大問題です)

その感覚自体がすでに、都全体の出生率少子化への無理解を表しているのだと思います。彼ら議員を選んだ側の意識もそこには映し出されていないでしょうか。(※たしか前回の都議会議員選挙の投票率は43.5%で史上2番目の低さでした)


しかし、わたしがこの話題を聞いて、最初に思ったのは、それでこの塩村さんは何を発信しようとしていたのだろうということでした。どんな問題点をとりあげ、何を質問し、どのような課題を明らかにして次に何を行動したかったのか。
それが既知の話題なのか、新しい視点で議会に問題を投げかけるくらいの話題があったのか。結局分からずじまいです。

つまり、ヤジを含め、いままでに発言している議員さんたちがどのように少子化対策をはじめ、そこから派生する数多くの問題について真剣に取り組もうとしているようには感じられないのです。

その、東京都、日本、集団単位での問題意識のなさが問題だというのは、海外メディアの方が敏感に反応しているようです。
海外からの批判で、正しく対応できるかどうかが、わたしの中では次の興味となっています。

ひょっとすると、日本人が変われる大きなチャンスがいま来ているのかもしれません。元来、日本人は、海外から指摘を受けることが大きな行動の要因になることって多いと思うのです。日本の中であれこれ議論しても、結局頭が切り替えられないのだから、これはいいチャンスなのだと思います。

          • -

以下、リンクをいくつか挙げます

セクハラ野次@都議会事件に関する一般論による解説
http://bylines.news.yahoo.co.jp/yamamotoichiro/20140620-00036575/
→被害者たる塩村あやか議員の側の問題点(過去の言動や噂を背景に不信感)と、もう少し効果的なヤジにすればよかったのにという意見

ストレートに言うと、「遅れているんじゃないか?」:塩村あやか議員が出演したラジオ番組、『JAM THE WORLD』全文書き起こし
http://radiokoshi.net/archives/3078
→ それほどまでに政治の世界は遅れているとの意見

Assembly member loses bid to punish sexist hecklers
http://www.japantimes.co.jp/news/2014/06/20/national/politics-diplomacy/assembly-member-loses-bid-to-punish-sexist-hecklers/#.U6b8jo1_txF
→ ジャパンタイムズの記事。事件の内容と、社会の反応の大きさをRetweetChange.orgなどネットの反応でレポートしています。

Ending Japan’s sexism requires men to lean in, too
http://www.japantimes.co.jp/news/2014/06/21/business/corporate-business/ending-japans-sexism-requires-men-lean/#.U6b6uI1_txE
→ ジャパンタイムズの記事第2弾。自民党の女性活用を成長戦略の柱の1つとしていることが話題を大きくしているというところから、過去柳沢伯夫氏、森喜朗氏らの失言の数々を挙げ、現在進行中の世界的な女性のダイバーシティの潮流に言及。世界が日本の将来を危ぶむという、いささか不都合な事態に。

議会での野次、外国ではどうなっている? 「下品な野次飛ばし部隊」は民主主義に不可欠
http://markethack.net/archives/51926573.html
→ 他国は当たり前かもっとすごい野次。座席の形にもよる。

「質の高い質問」をした議員は誰か--今国会「国会議員質問力評価」1位から70位までの全議員名を発表
http://bylines.news.yahoo.co.jp/takahashiryohei/20140617-00036440/
→ では、だれが議会でしっかり仕事を行っているかという公表。

Interview: Female Tokyo Assembly Member Reflects on Harassment
http://blogs.wsj.com/japanrealtime/2014/06/20/interview-female-tokyo-assembly-member-reflects-on-harassment/?KEYWORDS=japan+assembly
→ ウォールストリートジャーナルの塩村議員へのインタビュー。この状況を変えるには、より多くの女性議員が必要。

男子フィギュアスケートファイナル(羽生・町田 両選手)と時代の曲がり角

2013年のフィギュアスケートの季節が終わろうとしています。

ここのところ、本当に強くなった日本のフィギュアスケート。特に男子はソチオリンピックの結果を待たず、すばらしいものですね。

そしてソチの1ヶ月後、今季最後の世界選手権が東京(正確には埼玉アリーナ)で行われるのも久々だそうで、本当に偶然だったのですね。なんだかここ東京が舞台だなんて、やらせっぽいほどよくできすぎた設定のようで、たいした試合じゃないのか、なにかのやらせなのか...?と思っていたら、ちゃんと偶然が重なりすばらしい舞台がこの日本でもう一度開かれることになったようです。こんなことあるんだ!

そして、今一番強い国、日本は3名の男子選手がトップのグループにつけて、結果としてそのうち2人がしっかり金銀メダルをとってフィニッシュできました!

オリンピックでは、トップの3選手でさえ、日本選手に限らず、みんな転んでしまって、大変なぶたいとなりましたが、今回はみんな、かなり踏ん張りました。なかでも町田選手の強い気持ちは1つ1つのジャンプのたびにしっかり踏ん張り、強い気持ちが伝わってきました。
また、羽生選手は、SPでなんと3位になってしまったのが不本意だったようで、本人もコメントしているとおり、気合いで逆転。それができるようになった日本人は本当に強くなった。

TVのこちら側から応援しているだけなのですが、自分自身にも投影されていると思います。思わずちょっとしたタイミングで彼らのことを思い出して、自分のことを励まします。自分も踏ん張れる、って。

こんな風に思うことってありますよね。

折しもTVではさまざまな定番番組が続けて終了を迎えています。
笑っていいともの金曜レギュラーの最後では、木下優希奈さんが高校の頃に、タモリさんもがんばってるからうちらもがんばろうって、思ったと言っていました。ほんとうに、TVを見る側は、何となく見ているようで、そんな元気をもらっていたりするのですよね。

今はあまりTVを見なくなっていると思いますが、たくさんの人に元気や夢をくれたTVの多くの番組が終わり、新しい何かに変わっていくことで、何か大切な時代の宝物がなくなっていくように感じています。

何もかも、有限です。永遠には続かない。長い間、とくに30代、40代のあたりの世代が一生懸命引き延ばしてきた人生も、ついに、次の曲がり角を曲がることになったのだと、そんな風に思っています。

紅茶倶楽部のことを思い出した

    

学生時代、今から振り返ってみるとかなり華やかな時代に学生だった私は、かなり地味でマイナーなサークル活動をしていました。
最初に入ったテニスサークルは、5月の連休合宿で左目にテニスボールを食らってからしばらくしてやめてしまいました。

そして卒業まで関わったのが、紅茶倶楽部。今のように紅茶やハーブティーを誰もが知っている時代ではありませんでした。
しかし、伊藤園のおーいお茶やキリンの午後の紅茶が販売され人気が出てきていた時代。それでもやはり、紅茶についての知識はどこまで行っても決して企業や就活に役に立つとは間違っても思えない、その程度の勝ちしかなかったように思います。

しかし、サークル活動をしているコアメンバーにとって、紅茶の知識そのものはまさにサークル、自分たち自身の中では大切な知識でした。紅茶ではなく、紅茶の飲み歩きにかこつけて異性とともにあちこち出かけられる、学園祭には一緒にティールームを開けるなどの楽しむ人も、じつは結構いたんじゃないかな... それでも意外なほどにみんなまじめに紅茶活動に取り組んでいたと、思っています。

さて、紅茶倶楽部で行っていた活動は以下のような感じでした。

  • お茶会(新人勧誘活動、定期。近くの集会所を借りてお茶を入れる)
  • 学園祭に紅茶専門店を出店(提供するケーキやクッキーなどを作り、お店の内装外装をデザインするなど)
  • 勉強会(スリランカ大使館で紅茶について教えていただきました)
  • 合宿などのイベント(後年有志でお茶以外飲み会やさまざまな活動を企画していました)
  • 紅茶専門店マップ作成(都心を中心に飲み歩いたお店をマッピング

なかでも学園祭での出店と勉強会は印象的です。
また、顧問の教師のような紅茶専門店のマスターがいて、英国式の紅茶の入れ方について講釈してもらったりもしましたね。

そう、英国式なのです。そのマスターには、いつも彼のお店で注文すると、紅茶にいれるミルクの量は、紅茶の色がお店の中の壁の色と同じになるまで入れるように!と言われていました。まじめに受け取ると、かなり薄くなるはずなので、いまでも真相は謎です。
紅茶は思い切り濃く出ていますし、壁の色はもとが白かったのが黄ばんだくらいの色です。そこまでミルクを入れるのはかなり非現実的なのでは...?

職場の英国人の上司が以前、集会(オフサイトミーティング)で集まったときに、部屋にサーブされているコーヒーではなく、わざわざティーバッグで紅茶を入れて飲んでいいました。もちろん、用意されているのだからOKなのですが、わざわざ紅茶を選択するなんて、正直自分くらいかと思っていたので、やはり英国人は紅茶ですか。と改めて納得した記憶があります。

そして最近、いい通販の紅茶専門店をみつけて、早速いただいています。美味しいティーバッグは贈答用の箱で2箱も持っています。かなり高級なトワイニングのセットです。けれども、自宅でいただくのは、やはりバルクでストレートティーを淹れ、ミルクティーで朝食時にいただくのが典型的なわたしの紅茶の楽しみ方です。

これに加えて、今回の通販のお店からは、ストレートでいただく葉っぱを購入しました。
これで夜でも緑茶をいただくほどの気軽なお茶タイムに、ストレートティーをいただくことを覚えました。

上が今日いただいている図です。
本当に美味。ネーミングもいいです。「天空の紅茶」。
グリーンのリーフが入っていて、それは浮かびます。発酵茶である紅茶本来の黒い葉っぱはお湯に沈みます。
いつものハーブティーを淹れるちいさなガラスのポットでいれると、葉っぱの泳ぎ具合がとても良く見えてまたたのしいです。

ちなみに、紅茶はその製法で発酵しているからだからなのか、漢方的には体をあっためるタイプの食物だそうで、冷えがちな人はもちろん、そうでなくても朝食に紅茶は体にいいようです。

それでも夜は明ける ~ 12 Years a Slave

映画『それでも夜は明ける』公式サイト 大ヒット上映中!

いい映画を観てきた。これが一番の感想です。
近年大変多いですが、実話に基づいた話には心を打たれます。
しかも、私たちと同様、自由が当たり前の一人の人間が、ある日突然、拉致されます。その日から、奴隷として、ものと同様売り買いされ、行動や食事、持ち物、さまざまな自由を拘束され、これまでの社会生活は家族に会うことも含め一切認められず、ただただ、資産家である農場主の資産の一つとしていいように合わない仕事をやり、鞭で打たれ、憎むべき行動もとらなければならない...
苦しい以外の何ものでもない生活。それが12年にもわたって続いたのです。
その抜け出したきっかけさえ、自分自身の不断の努力がなければ、一生続いてもおかしくない世界。
映画の最後に、同様の目にあった人たちの中で、このように抜け出せたのはほんの一部でしかないとのメッセージがありました。

思ったよりも、目を覆いたくなる絵は少なく、また時間を数えるようなこともありませんでした物語にありそうな、農場主は完全なる悪という描き方もされていません。資産が不足する資産家の事情もどこかで理解できてしまったりするのです。
そうした演出が、ますます自分が主人公と同様の体験をしているかのように感じさせてくれる、映画です。派手でもない、過剰な演出もない、けれど素直に観る者の心に入ってくる。
それが、おそらく今年度アカデミー賞作品賞として評価された所以なのでしょう。

たしかに、俳優陣はすばらしかったです。
プロデューサーのブラッド・ピットはちょい役ですがかなり重要な存在感があります。
のちの農場主のマイケル・ファスベンダー、その前の農場主のベネディクト・カンバーバッチも、事前の予想番組等で取り上げられていましたね。助演女優賞を取ったルピタ・ニョンゴは映画の中でとても美しかったです。そんな役どころではないのですが、体当たりな感じが伝わってきます。

主人公のキウェテル・イジョフォーは、知っている方は少ないかもしれません。私はイギリス映画の『キンキー・ブーツ』での演技をすぐに思い出しました。試写会で鑑賞してから、かなり気に入っているヒューマンな映画なので、今回主役をやっているのがうれしい驚きでした。
キウェテルは、今回のシリアスでインテリジェントなアメリカンとはまったく違い、1段抜けきったドラッグクイーンをやっていました。もちろん女装です。そういえば、あの役も実話の中の主役でしたね。

それでも夜は明ける』に戻りますが、これは、次に何ものかが来そうな感じがする今の時代の空気も含めて、鑑賞するべき作品なのだと思います。それでないと、昨年の『アルゴ』に似た空気感がある『アメリカン・ハッスル』が無冠だったことに納得がいかない(観ていませんが)、そんな気がします。

音楽もよかったですね。ゴスペルが悲しい曲だということを初めて実感しました。








今年のチョコレート

しつこくチョコレートの話題を。
チョコレートの季節が今年も終わりつつあります。以前のブログで2、3チョコレートに関する話題を記事にしました。

チョコレートの季節がもうそこまで来ています
ワールドビジネスサテライト チョコレートランキング
WBSの高級チョコレート商戦の特集を追加
NHKプロフェッショナル 仕事の流儀「洋菓子職人・横溝春雄」

4つもありましたね。。
最後のは、ウィーンのデメルで修行した横溝さんの、ザッハトルテを拾っちゃいました。私の好みです。

さて、昨年末に調査したときの話題やトレンド見込みと、今期何か変化があったとしたら、それは材料です。
チョコレートのブランドには3つあります。
 1つ目は産地。
 2つ目は製造メーカー。
 3つ目は商品。
ガーナ産、というのはチョコの原料カカオの産地のことです。
ベルギーチョコ、というのは製造メーカーの立地を指しています。
ゴディバ、というのは最終的に消費者が手にする商品のブランドです。

このうち、これまでは商品のブランドがもう少しフォーカスされるだろうと思っていたのですが、じつは今回は製造メーカーのブランディングがかなり強化されフォーカスされていました。
これはかなり面白かったです。

また、ゴディバの競合があったような、なかったような。

ということで、製造メーカーが販売する製菓材料としてのチョコレートを今回は購入し、チョコレートケーキを作ってみました。
クーベルチュールなので当然美味しい!
ただし、失敗したのは、ムーミンベーカリー&カフェで購入したスナフキンのケーキ型で作ったので、思いっきり型にケーキが張り付いてしまったのでした。

もう一度対策を講じて作ってみたいと思います。