天保十二年のシェークスピアで
[diary][Review]
記憶に残る事件がありました。
日曜昼からの舞台を最後列ど真ん中でみました。
始まる前から空気づくりに役者を立たせている演出は、同じコクーンでみた『桜姫』を思い出させます。
今回は蜷川さんのコクーンシリーズの最後、今年はよく渋谷に通いました。
そして最後だけに、役者陣も豪華豪華。ゆえに立ち見までも中2階、2階とも満員状態。
幕開けからさっそくわくわくシェークスピアから江戸時代へいざなってくれたのはよかったのですが…。
あれは幕間のあとだったと思います。
殺陣のシーンで2階建てのセットの上の戸がふかふかと上下にゆれていて。ちょっと不思議な動きだったので注目していたところ、突然舞台上手に現代人が登場。それまで篠原涼子が殺陣をがんばっていたところに、蜷川さんがシャツにジーンズで立ってました。
あの『ふかふか』は、どうやら大道具の不具合だったと判明。お芝居は蜷川さんの登場とともに中断しました。
しばらく完全に稽古場の様相。マイクからシナリオの場面を指定する声、再開の指示。
ほどなくしてちょっと前の場面から役者さんたちがスタンバイしてはい、スタート。2度同じせりふからはいった藤原くんは緊張していたと思います。
蜷川さんがカーテンコールでもちらりと頭を下げにでてきました。
会場はハプニング当初から、ものすごい拍手。
帰りに立ち寄ったレストランで、わたしたちはむしろ、再開のときにでもちょっと笑わせてくれるくらいの気楽さがあったほうが、よかったね、なんて話しました。
きまじめで厳しい現場の空気が、あのおしゃべりな唐沢をも静かにさせてしまっているのが垣間見えて、すこしだけ残念でした。
厳しいのはそれでいいのですが、自由な創作がない空気はつらそうかも。
わたし以外の人たちは、蜷川ファンでかならず立ち見であっても毎回みるくらいの人たち。そういう人さえ、ちょっと気楽な役者さん(だれとはいわない(^^;)がほしくなっていたのだから、不思議です。
わたしの楽しみは唐沢のコメントがあるかどうかだったのですが、できればあってほしかったです。
作品としては、何年かまえのときより豪華で洗練されていました。が、音楽が…。生演奏でミュージカル初挑戦だった前回の新感線メンバーのほうに軍配をあげたいです。
蜷川版なら歌いらない、けど、作品なりたたないジレンマがあります。なぜなら天保十二年のシェークスピアはシェークスピア作品37作品のあつまりなのだから。
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すごいですよね。こんなこといままでで初めてです。
普通はまずないですよね。話が中断なんて聞いたことないです。
ちなみに中断時間はぎりぎりでした。。はんぶんやばかったです、集中力が^^;。