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個人的な生活と思索の記録です

日経新聞で大学のことが

[diary][番外]
昨日の19日から日本経済新聞でコラム「大学激動 全入時代の学生像」が始まりました。
いつもはこういうのはさらっと横目でおわるのですが(なにせ大学生とはかかわることが少ない・・;)、ふと立ち止まってしまいました。

いわく、『三十年以上言われ続けた「大学レジャーランド化」。』がいま、明らかに変わりつつあるのだそうです。

あれだけ「代返(なつかしいゾ!)」とか、コピーの回し合いとかしては遊んでいた学生たちだったのに、いまでは逆に学生のほうが『先生、ちゃんと出席をとってください』などといったり、『休講になった時は … 「補講をやってくれるんでしょうね」。』と念を押したり。

でも、まじめになったと喜んでもいられないようです。
『高校の延長で何でも面倒を見てくれると期待し過ぎ。まるで高校教師のよう』
たしかに休んだ穴埋めを教授に求めるのはちょっと違うかも、と昔の学生であるわたしなんぞはおもってしまったりします・・・。やっぱ、大学は好きでいくとこなんだから、自分で勉強するもんでしょ・・・あれ、ちがう ?^^;

まだまだ、名門の医学部の入試面接で「漱石や鴎外を読んだことがあるか」と聞いたら誰も読んでいなかったとか、リポートの書き方がわからないという学生に句読点のつけ方から伝授、など、いろいろ続きます。

※でも、リポートの書き方は系統立てて教えてもいいと思ってます。たとえばアメリカでは、大学できちんとレポートの書き方を教えるので、大学間で単位を持って転籍しても問題がないよう品質を均一に保っているので、ひいては国として、ある一定の標準が出来上がるというメリットもあります。

という、一学生に複数家庭教師が高額な支出の対価としてあたえられているということでしょうか。

ここまで書いてなんですが、中学〜大学生だった昔を思い返してみると、 よく世相の反映としてさまざまな評論や批判をメディアで目にしましたが、自分がそれに当てはまるかというと、意外とそうとも言い切れなかったことも思い出しました。

どこまで賛同するかは自由ですが、この記事を書いた人からすれば、このようにひとつの傾向がみえた、という点でこれはこれで事実といえそうです。

ちなみに今日の第2回目はさらに学生たちの生真面目さ=融通の利かなさから不登校に陥る例も出てきたという話です。

『「自分もフリーターやニートになるかも、といった漠然とした将来への不安が、彼らをとりあえずまじめに、従順にしている面がある」』とある教授が述べていますが、これはフリーターやニートと呼ばれる人たちが怒っちゃいますね^^;


続きが興味深いです。

(『』は引用しました)