Vision is power. You can change the world!

個人的な生活と思索の記録です

チャレンジ、あるいは次の目標

ビジョン、と書こうとしたが、それはちょっともったいないので。来期のゴールにすることを考える。

日本発のコンテンツをUS、世界に発信する。

はじめて今の職場で本格始動、つまり全面的に社内営業したとき、日本の営業の人たちは一体、英語の資料が欲しいのか、日本語のが欲しいのかをさぐった。もちろん、答えは日本の企業社会で仕事しているのだから日本語なのだけれど、そんな常識さえも確認しながらの毎日だった。
英語の資料なら膨大にある。しかしそれをちょこちょこと翻訳しながら使える余裕が出たのは3人体制になってからだ。その当時は、日本語の資料を整形するお手伝いをしながら、次の仕事に活用してよいという了承を得て、こつこつとコンテンツをためていった。
英語の資料は膨大なだけでなく、鮮度もよい。3ヵ月経ったらそろそろ古い業界で、日本語の資料の鮮度を最新に保持するのはかなり大変だ。
しかも、それを理解している人が自分のチームにはいなかった。日本の多くの人間が英語のコンテンツを出されても理解できないことさえ知らなかった。
そんななかで、翻訳の大切さ、現状の人員、コンテンツ、ノウハウ、スキルなどあらゆる問題を上司にたどたどしく語り、同時に辛抱強く耳を傾けてくれた上司があった。

今考えると当時の上司が仕事のよくできる女性だったことが最大の救いだった。非常に現実的かつ行動的で、実際に日本に来て自ら社内営業をして回り、さらに私がした仕事の相手と会話してその問題点や満足度を1つ1つチェックした。
言葉は当初なかなか通じなかったが、お互いにやろうとしていることとマインドが一致したことは感じ取った。来日しているときには日本語がさっぱりわからず箸も使えない上司に朝から晩までつきあい、さらにしまいには夜中までプライベートの話をしたりした。今では考えられないことだ。

それから3ヵ月後。上司がもう1人担当者を増やすといってきた。それはもううれしかった。助かった!と。もちろん、私に知り合いがいないかどうか、聞いてきたし、考えてもみたが、なにしろ英語の苦手な人間ばかり、困った。
結局当時契約していた会社に応募してきた人から1人決まり、その年の年末からやってきてくれた。
話はずれたが、その頃同時に翻訳チームも本格稼働してくれて、一時は日本担当者もおいてくれた。
資料のローカライズがすすめば、コンテンツが増え、生産性と効率、品質がそれぞれアップするのは間違いない。
実際にはそううまくはいかなかったけれど、ともかくこちらが主張し続けてきたことは正しそうだと言うことは伝わりはじめた。

そして、さらに時を経て、いま3人体制で時に応じて英語を日本語に直したりしながらコンテンツを作っている。必要なときには翻訳を外注したりもできている。私たちはコーディネータ役でよい。

近頃、他のチームとの関係性がいろいろ見えてくる中で、改めて私たちはコンテンツを入手する側ではなく、提供するのが本来の役割と認識している。
日本に資料が欲しいと、外国から言われることは本当にまれである。
しかし実際、そのような経験があり、驚くほど喜ばれて私は気がついた。本当にやりたいのは、発信だと。日本でみんなでやっているビジネスをベストプラクティスとして使いたい人が世界のどこかにいるのではないか。日本で工夫して作っている良質の創作性に満ちたコンテンツを欲しいという人がいるのではないかと。何しろ、仕事の仕方、品質、アイディア、コラボレーション、そもそもの能力(これはオフレコだw)さえも日本人は非常に優れていると実感しているのだから。

同時に、リリース先が見えてきている。
これを実験的になるかもしれないが、ぜひ、広げてみたい。必ず、反響があるはずと信じている。