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個人的な生活と思索の記録です

失われた言葉と

久しぶりに実家に立ち寄りました。夕食のあと、今度、一人で友人の送別会に行ってくるとのこと。しかもそれを手帳に書こうとしていて驚きました。
母は昨年手術をしてその後遺症が出て、その一つで中から高度の失語症になっています。失語症というと美智子様?と思う方もいるし、逆に最近はよくご存じの方も多いように思います。

最初は母もベッドでにこにこするだけで、いったいわかっているのか何を考えているのかもわからずかなり不安でしたが、落ち着くに従い、生来恐ろしくおしゃべりで120%ポジティブな性格が幸いして、わずか1年余でだいたいの話は通じるようになりました。が、それは家族だからであり、他の方と会話する際の困難には何度も直面してきました。
しかも、基本的な動作を忘れてしまう失行症と、話すときの口の動かし方を忘れてしまう症状、軽微な麻痺の残骸も手足に残っており、これらについては、何度も繰り返して身体に1対1対応で覚えさせることがいまのところ唯一の対症療法のようです。
また、母はまだ比較的若い部類に入るためか、陰で相当練習しているのか(笑、いろいろなことが次第にできるようになってきています。しかし、新しい外出先に一人で行くのは、以前何度も行ったところであっても、誰かしらが付き添い続けて対応していたため、心配だったので、本当に感慨深いものがあります。

失語症は頭の中や記憶は基本的に正常なのですが、それを言葉(声、文字)と結びつかなくなる症状です。(ちなみにみんな病気と称しますが、わたしには病んで発症したわけでないので病気と呼ぶのには抵抗があるのです)とくに、数字は苦手で、おつりの計算はもとより、現在は日にちの呼び名を直したり、またよく意味が反対の表現が口に出たりします。
また、失語症は、長い時間をかけて、努力をすれば、「治る」病気です。ただし、100%元の通りにはなりません。訓練で取り戻すため、一見他人からは元に戻ったように見えたとしても、本人には違和感がつきまとうものとのことです。つまり言いたいことを言葉にする困難。

そして、以上の症状はすべて、脳にかかわることですので、いつも100%症状が出たりするものではありません。どんな症状も出たりでなかったりするのです。うまくできたりいえたりしても、次回はまたできたりできなかったりします。
これは当初気が抜けず、やっかいでもありましたし、またいまは気楽な救いにもなったりします。


言葉や心、コミュニケーションを普段扱うことが多いわたしですが、こうして、脳の機能面や生活面での不全を前にすると、本当に人間の弱さ強さが見えてきます。その人の本質が見えてしまいます。医療の現場にお勤めの方には本当に頭が下がります。
そして、実は予防医療での後遺症で覚悟の上の手術の結果。愚痴も涙もみせない母です。

命の終わりのかけらでも見えたとき、人は日にちを時間を指折り数えるようになります。
しかし、今も同じ長さの同じだけ貴重な時間が流れているのです。

最近少し、なんとなくやり過ごしたことが多かったかもしれないと、我が身を振り返ったわたしでした。