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個人的な生活と思索の記録です

心根の問題

深刻な話題はやっぱりマイナスの価値観の影響から

せっかく仲良くなった人でも、大人になると程なくしてうまくいかなくなることがある。
その人の性格が悪かった。気が合わない。自分とは違う。云々。
いいわけはいろいろあるけれど、結局のところ、その人といっしょにいたくなくなった。ただそれだけのことだったり。なかには、がらりと態度がわかってしまう人までいるようだ。

ではなぜ、そんなに変わってしまうのか。
わたしは、それは一人一人が必ず持っている、ある価値観のためだと思っている。
ちょっとした出来事やなにか合わない、その程度のことなら、それは大したことではなく、また状況が変わればまた関わるようになることも多い。ごく普通のことだ。
けれど、がらりと変わるからには、なにか決定的ともいえる「こと」があったはず。
そしてそれは必ず双方が気がついているはず。

なぜなら、コミュニケーションは常に双方向だから。

その「こと」は、どちらかの人のかけがえのないただ1つの価値観に触れることだったのだ。

価値観。

それはプラスのものとマイナスに働くものがある。
それらは単純に表裏一体のものかもしれない。プラスの価値観を脅かされそうになるとき、生命の危機といえるくらいの恐怖がわき起こることがあり、マイナスの価値観に直球がずしりとささることがある。いずれにしてもただ1つの価値観である。

人にはたくさんの価値観がある、その触れるともっとも反応するただ1つのコアと呼べる価値観があるのである。そのコアは、近づくだけで、ちょっとかするだけでわかる。

たとえ話でいえば、こういうことだ。

たとえば、わたしは裏切りということが大の苦手である。
長く生きてくるうちに、すっかりその価値観が強化されている。せっかく仲良くなったとしても、その人がわたしのもっとも触れて欲しくない場所に触れたとき、完全にわたしの中の信頼を失う。わたしの中では自動反応で「こいつは危険だからかかわるな」となる。日頃は関わる人を選ばないのがわたしなのに。

でも、相手や周囲の人にはわたしに何が起きているか、わからない。周囲の人間は、特定の仲良しを避けるようになっているわたしに対して、批難を始める。
一方、相手は後から知る。わたしが相手がしたことに気づいたことを。こちらが気づいた裏切りの瞬間は、もちろん相手もわかっているのだ。つまり、確信犯。

いくら誰かがかばおうと、今後もしかしたら役に立つかもしれない、その他の人間関係を考えると誰にでも親切にしておかないとね、などなど、関係維持に向けた言い訳はたくさんある。が、コアの部分を脅かされた人間が感じる生命の危機は、並大抵のものではない。
人の内面には強烈な爆発的パワーが潜んでいるのだ。


もちろん、そこから先は本人の選択。ちなみにわたしの場合、結局は性善説に立っているため相当のことでも結局許してしまうことが大半。だからといって、今後再び裏切られることを想定など絶対にしていない。

だから。本当は、この手のことは、決して許してはならない類のことなんだろうな、なんて思っている。そこまで重大なことなのだ。なぜなら、裏切る人はその人なりの価値観でやっているため、行動をやめないはずだから。後はこちらで防御するしかない。

君子危うきに近寄らず。なのかも。らしくないコメントだけれど(笑

逆にプラスの感情に働きかけるのは、プロポーズくらい重大なイベントに

マイナス面を例に、コアとなる価値観に触れる出来事の与える影響の大きさについて触れてきたが、人が普段気にするのがマイナスの出来事をどう良くするか、の話が多いためだ。しかも説明しやすい。

さて、すでにちょこっと触れたように逆にプラスの例もある。

こちらはすっかり夢物語、成功物語のような話だ。
自分が気になる人のコアとなっている価値観がわかると、もうそれはすべてを手にしたも同然。そこに触れた人を本人は必ず好きになってしまうから。

そこまでわかっていて、なかなか世の中うまくいかないのはなぜ?という感じだけれど、もちろんそれは見つけにくいから。自分が生命の危機を感じるのは明らかにわかるが、天
にものぼる幸せをいつ手に入れられたかの瞬間については、これはなかなか思いつかないかもしれない。

長くなるのでここで例を挙げるのは控えるけれど、上述のマイナスの例に挙げた例と同様、プラス面でのただ1つの価値観とそれに伴う感情が、人それぞれ必ずあるのである。

さりげない一言を言われて、それが心の的の中心にずばりと当たり。以来、その人のことを何があっても信用している、とか、相手が自分のことを理解してくれている、とくに「本当の自分」をわかってくれている…!などと思うと、もうこれはすっかりやられている証拠(笑。もちろん、そのまま信じていていい。

あえてもう一度言うが、コミュニケーションは双方向。
片方がすっかり信じると、やがて相手もその人を信じ始める。自分が相手を受け入れると、相手もやがて自分を受け入れる。

こうした心の動きに加えて、コアの価値に触れたとき、そのプラスの感情は不動のものとなる。



さて、誰もがたいていは1、2度は経験していると思い当たるはず。
とくに波瀾万丈に生きていなくても(笑。 みなさんならどうしますか?