Vision is power. You can change the world!

個人的な生活と思索の記録です

今日の気づき。

気づきなんて、毎日いくつもあるものだと思っていたのはもう何年も前になってしまう。
ふと気づくと気づきをスルーしている毎日。

好評に終わった@NETオフ会の反省会&打ち上げをしつつ、次回開催について議論を開始した。まずはここまでこぎ着けてほっと一安心。

どうしてもふたたびゼロベースで考えたい件がでてきて、新しく幹事になった方が、つぎつぎと思いついたことをわたしに言ってきてくれる。これに対してわたしの反応は、まず否定的だった。
なぜなら、「その場で思いついただけ」のことに対して、どんなリスクがあるかをきちんと押さえておかないと、開催者としての、さらには開催者への説明責任が持てないから。ということをほぼ自動的優先的に思考する自分がいるのだ。
一方、帰り道に後ろからやってきたもう1人の幹事に同じアイディアを話しているのを聞いていると…

「お、それいいねえ。いい!!」「すごいなー」
と、即座に反応してほめている姿を見た。
もちろん、そんな肯定的な反応があるのをみて、盛り上がり始めた。

どんな話をするのかなと思い聞いていると、中身よりも話している方の表情に気がついた。せっかくいつも清らかな表情の彼女の顔が曇っている。わたしが挙げた懸念材料について話している。
そして、肯定している方の当たり前のような話し方。いつもこうして人と接していることが良く伝わってくる。

わたしは考えた。コミュニケーションの取り方がここまで違うと、生き方、考え方とそれにより得た人生の成果がまるで変わってくるんだろうな。実際、想像できる限り、その通りになっている。

堅すぎて融通の利かない真面目すぎて遊びのない、直線の人生。わたしが嫌って捨ててきたはずのものはまだ自分にぺったりと貼り付いていた。これでは人と近づくのは難しい。

人はいずれにしても、その場その場で役割分担が必要で、自分はこうしたお目付役、番頭役を任されがちなタイプなのだとは思う。けれど、本来それは持って生まれたものではなかったはず。自分らしさは大切だけど、再構築してしまいたいものもある。

日頃、職場でも同じようなことをやっているんだろうな。自分とは異なるタイプの同僚との対話は、一見何の問題もない。だからこそ、ほんとうにちょっとした反応の変化にも敏感になり、そしてこれが重要なのだが、なるべくその場でずばり意図を確認するのがよい。これもこのごろは実行するのが難しくなっているのだが。