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個人的な生活と思索の記録です

ベネッセと学校時代

ベネッセのことを自分自身の私的経験から思い出してみる。
といっても、もういつから進研ゼミをとっていたか思い出せなくなっている。たぶん、中学生?そうだ、きっと。私立中学だったにもかかわらず、大勢とは反してあえて進研ゼミ。わかりやすさを愛する傾向はすでにあったということだ。
そこそこ回答の返信はしていたように思うが、あまりまじめにはやっていなかった気がする。それはそうだ。高校進学に受験はなかったのだから。
しかし、中3になると、その年だけなぜか浮気をして河合塾に新しくできた通信教育を取った。確か英数だったと思う。無味乾燥とまではいわない、結構がんばったつくりだったと思うが、なにしろ赤ペン先生にかなうものは当時すでになく、かといってZ会レベルのものでもなく、なんとなく1年が終わった気がする。
高校になると、迷った末にまだ受講していたはず。なぜなら、小論文の通信添削を高3でも受けていたのは覚えているから。そして高校がある駅の向こうの塾では、やはり小論文を習っていた。そもそもは古文漢文を受講していたのだが、塾の勧めで小論文クラスに移動したのだ。
いずれにしても国語=日本語は得意だった。好きというよりは得意だったの方があっていると思う。
小論文という科目は当時まだ新しくて、受験準備などいったい何をやろう、という感じだった。それをきちんとキャッチアップして提供するベネッセは頼もしい存在だった。
繰り返すようだが、高校に進研ゼミをとっている人間はほぼ皆無だった。しかし、私はとり続けていた。

大学にはいると、もう進研ゼミと関係することはないと思っていた。いったん忘れかけていたとき、1年生の春からアルバイトで進研模試の採点に申し込んだ。模試があるときだけの季節労働だったのが私にはあっていたのか、珍しく4年間続けることができたバイトだった。
進研模試の採点は、大規模な会場を借り切って、そこに終結した各大学からの学生がチームを作って採点作業を行うという形式だった。採点はチームワークだった。
まとめていた女性社員はやり手らしく、いつもてきぱきとして、バイトのリーダーとかかわっていた。
わたしはそれを、少しだけ遠くの丘で起こっていることを眺めるようにしてうらやましく見守っていた。

まだ、ベネッセは、今のように充実したサービスやラインナップはなかった。けれどもすでに、マンパワーのマネジメント、大規模な細かい作業とその業務マニュアルはそろえていた。