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個人的な生活と思索の記録です

随想:最近あったこと

気がつけば最後の日記から2ヵ月。これだけの間、いささかてんぱっていたことを再認識します(笑。

変化のとき

いま現在のわたしの状況は、会社という顧客との関係の見直しと新たなる顧客の創出可能性、それから日頃の一商店としての経営の見直しの最中といったところです。同時に、自分の興味のあるトピックが次々に現れたり、思いが浮かんだりしたことをなるべく捉えて文字や図として見える化しようとしています。
オペレーションとコンテンツですね。
さて、社会情勢の影響でこのような状況にあるわけですが、自分が長らく人頼りにして放っておいた、特に経営の面では半ば突き放された風もあり、それは他の件でも同様で、やはりオペレーションとコンテンツはバランスだと思い知った次第です。
自分はプレーだけに集中してはならない段階にあることをよく肝に銘じないとなりません。
一人でやっているのだから、すべて自分の力でやらないと、と思ったとき、会社の人たちは、どのくらい自分という個人についてきてくれるだろうと考えます。ひょっとすると会社名やチーム、肩書きがなくなると…?

同時に、関係している方々には、ぜひ一人でもどこに行ってもやっていける能力と意欲を身につけて欲しいと願っています。

固定した観念をあつかう

ここ最近、2,3の場所でこうした思いでレクチャーしたことの中に、観念の話がありました。固定した観念がひいては固定した結果をうむということ。

これは、知らず知らずのうちに自分へ警鐘になっていたかもしれません。ここ数年、自分のことをみることを避けてしまっていた自分がいます。そんなことはないよといわれそうですが、以前のようには自分の体験が見えなくなっています。それは他人の観念が、見えにくくなっていることでもわかります。
たとえば、人と会話する際に無意識のうちにフックして思い通りにしようとしたり、ありのままで接したいと願うこととは逆のことをしている場合があります。

かつて、20代のときにもいわれました。とある会社のなかで、これをすることで思い通りの結果が得られたことがあったようで、そこでやり方として身につけたようです。
正直な人、強い人ほど、こういうフックには反応します。私自身も誠実でないと思います。ちなみに一方で、女性性を使ってフックするのはよいのでしょうか。かわいければOK?いずれにしても、これはよくない。人をフックするのは悪いこと、と教わったはず。

けれど、自分を弱く見せてフックし相手をコントロールするというのは女性がしがちな方法ですね。
弱く、が受け入れられないとき、それは単なる後ろ向きな意見となり、嫌われます。
そして、それだけのレベルの価値の少ない人間と思われます。損です。
中途半端に「女を使う」まねごとをするよりは、いくら「男だ」といわれようと、いっそ仕事モードに徹して人と接する方が、傷つくことも少なく、気が楽なのかもしれません …

大好きな人たちとのかかわり

近頃、家族以外で生涯関わり続けると決めているほんの一握りの大好きな人のうち、一人と一部、決定的に思考回路が理解できないという体験をしました。あまりのショックにまだ少し、気持ちが沈んでいるくらいの大きな体験です。
ちなみにもう一人とも、先頃偶然、とあることをしようとしたときに自分との違いを再認識していて、イヤというほど理解しあっていると思っていたのにと、衝撃をうけています。でも、そこを受け止め合い、さらに今まで私に対してプラス方向に誤解していたことの真実を、つまり私の殺風景な一面を彼女は受け止めてくれました。

同様に、前者の大きな体験も、これはもう寄り添うことはできないかもと思った瞬間もありました。が、今はつらいが、もしかしたら、今後より深みを増す人間関係に育つかもしれないとも思います。友人や恋人って、当たり前なのだけれど家族でないから、いっしょにいたい、かかわりたいと思っていないといっしょにいないわけですよね。そう思うと何年も続いているご縁はすごい。

今後は気を楽にして、気持ちの赴くがまま、大切な人たちとかかわっていけるといいと思います。近づきたいときはずっと近づいて、一休みしたいときは一休みする。当たり前の毎日。このスタンスを取ると、不思議とそこまで近しい人とは知らず知らずのうちに日常を共有していたりします。つい忘れがちですが、何の意味もなさそうなことを話したり一緒にすることで、ひとは自然とわかりあったりしているのです。

それにしても、「それでもかかわる」と決めることのできる相手とそうでない大勢の人たち。どこが一体違うのでしょう。外にもたくさんの知り合いや友人があります。そこへ、なぜか突然、自分にぴったりの人が現れてみたり、いつのまにか自分がどうしても近くで見守っていたい人になっていったりします。

だから人生はやめられない。


  嫌いだった人さえもすぐに好きになってしまう自分。
  好きなあまり疑って疑って、ついには嫌われてしまう自分。
  ちょっとショックなことがあるとすぐにやめようとする自分。
  人からウワサを聞かされても、まったく動じず信じていられる自分。
  いったん好きになったらかかわってかかわって、ずっとそばにいたい自分。 …


肝心なのは皆さんに向かって自分らしく、自力で生きていけるようになどとおこがましいことをいう以前に、自分自身がまず、いろいろな面で自力でやって行けているかを見計らうことかもしれません。


思った以上に職場の人たちがわたしたちのことをみてくれています。

がんばるとは、人を大切にすること、そしてひとりでもファンが増えれば、本当にいうことがありません。感謝。