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個人的な生活と思索の記録です

プロジェクトマネージャとしてのスタートを思い出す

ここでの自己紹介に「プロマネ」と入れてみたのですが、実はプロマネの資格を1つも持っていません。
でも、最初の転職後、すでに平均で60ラインくらいのドキュメント制作をマネジメントしていたり、転職初日(!)からベンダの価格交渉をしていたりしたのは26才くらいのとき。いまいっしょにやっている人たちはそれよりもだいぶ年上です。それを考えるとなぜそんなに早くから、何も教わらないうちからいきなり複雑な仕事ができたのか、考えてみたくなります。

まず、理由の1つとして、最初の仕事が銀行系金融の営業だったこと。時代がまだ旧来の価値観が崩壊する前で、1つの価値観を皆で共有し、職務を全うする時代だったこと。企業文化とともに融資全般から社会常識に至る細かい動作まですべてを教え込まれました。一方で企業側は、自社社員はどこに出しても恥ずかしくないくらいの仕事ぶりだと自負していました。
こんな会社、今は存在しているでしょうかね。。

また、理由の2つめには、仕事で身につけたことを総動員して出てくる問題を解決していったこと。
きわめて単純です。わからないことはすぐに連絡して当事者に聞く。お客様のところへは自分からすぐに出向く。段取りは常にシミュレーションして複数プロジェクトのコンダクトをする。できないことは同僚と協力し合って解決する。とくにリスク管理に関しては前職の影響でかなり敏感でした。
しょっちゅう会社の方針が変更される変わった会社でしたが(笑)、その後時代が変わりそんなことはどこにいっても当たり前になったときにここでの多様な経験が財産に、いや今の仕事の基盤になりました。

理由の3つめとして、向上心、逆境での克己心を挙げておきたいと思います。
最初の会社を辞めたとき、業種職種の変更により最初から出直しになることが相当の負い目に感じられました。
そして、転職せずに残っていたらなっていたかもしれない自分の姿と、3年半遅れで社会に出てがんばる自分を常に比較して、いまどこまで差を縮められたか、という見方ですこしでも実績をあげようと努力し続けていました。

頼れる人が誰もいないというのは経験していないとわからない大変さがあります。自分ががんばれたことが大きな成果となりました。
あとはやはり…終身雇用の中での安定的なOJT文化は、社員教育に非常によかったのだと思います。