Vision is power. You can change the world!

個人的な生活と思索の記録です

親戚が来た。

引っ越し翌日というのに、名古屋から叔父叔母がやってきた。何年ぶりだろう。ともかく久しぶり。
父と待ち合わせて夕方遅くにやってきた。夜景を見てからららぽーとへ。
妹とその息子も合わせて会食。

そもそもの発端は、父方の一番上のいとこが初めて就職して東京にやってきたので、その様子を見に来たということで、家にも立ち寄ってくれるという話だった。が、某東京の交通機関に就職した彼は、新人にもかかわらず急な仕事で結局会えずじまい。


いとこたちには10年前の妹の結婚式以来、まったく会っていない。

きっと上の子はまじめに親孝行をし、まだ学生の下の子は凧の糸が切れたように自由にやっている。生まれたときから美形で華のある子だった。

そのうち、上の子が勤めているという新宿に行ってみたいと思う。ただし、いったい何時に行けば会えるのかわからない。。。(笑


わたしは、父の末弟である叔父の生き方には、父に対するのとはまた別の共感を持っている。

年の離れた兄姉のような叔父叔母だが、叔父が勤めていた会社を辞めて独立したのはよく覚えている。

まだいとこたちは小さくて、お宅にお邪魔したら小さな一軒家の1階の一部を作業場にして、叔父は仕事をしていた。

おそらく父の親戚兄弟でも頭の回転が最も速い一人で、話すと早口の彼はいつも明るくかわいがってくれて、前向きで、若い頃はいつまでも独身でスキーばかりしていた。
親戚の関係で勤めていた会社を辞めたきっかけは、そのまま勤めていても限られた退職金しか出ない、など、いろいろな意味で先が見えたため、自分でやろうと思い立ったという。

その10年くらい後に、私がほぼ同じ理由で転職するわけだが、その転職の際、父に理由を話したときに、叔父の起業の経緯を初めて知った。叔父が起業したときに、親代わりだった父に電話してきて話をしていたのは子ども心に知っていたが、そんなことだったとはまったく知る由もなく。

もともと父の家系は直系はさまざまな公務員、さかのぼれば城下で小さな組を管理していた武士だったが、同時にものづくり大国愛知の人間、器用で職人をやっていた人たちも多くいる。

叔父の場合は介護関連の器具を製作しているため、まさに器用な側に入る。父とはよく似ていると思うが、父が職人にならなかった理由は、山車の彫り師だった大叔父に、跡継ぎとして不合格をいただいたせいだという。
親戚一同の共通認識としては、職人優位、役人下位といったところか。将棋のプロ棋士でかつて、「兄貴は頭が悪いから東大に行った」と言った人がいたが、まさにそんな感じ。


叔母には会食の際に、期せずして妹と、下のいとこへの就活のアドバイスをした。
得意なことを、好きなことをやったほうがよいという話は、打ち合わせなくても妹との共通認識だ。


またまもなくもう一人、社会に出て冒険の旅をする若者がいる。そのことを思うとなんだかわくわくする。